den’s blog

気まぐれ日記

今までの後悔をここに。

5月も今日で終わり。

 

最近後悔をしてばかりなので、一度目をそらし続けてきた自分の嫌なところ(とくに大学生になってから)を吐き出して、しっかり向き合いたい。

 

小さい頃から、人と比べるとうまくできることが多かったからか、判断基準が「楽しい=人よりうまくできる」だった。

人よりもできるといっても、たかだか地方のいち公立小・中学校の中の話。

それでも当時の自分にとっては、唯一の世界で、それが基準だった。

「試しにやってみたらうまくできた、あれ、自分これ得意かも、好きかも」が、お決まりのパターンで、少しでもうまくいかないと、やっぱ好きじゃないかも。ってなってしまう。器用貧乏。

 

これが好き!っていうのも、今思うとほとんど無かったかも。というか、自分のこれが好き!という感情を表に出すのが苦手だった。え、意外!と思われそうで恥ずかしかったのだろうと思う。自分の中で、自分は人からこう思われているだろうというイメージが先行してしまったのかも知れない。今思えば単なる、自意識過剰なのだけれど。

(2021/06/27追記:テトリスやスライドさせて絵柄を合わせる脳トレゲームは異常に好きだったことを思い出した。ゲームは一度はまったら抜けられないという思いがあるから、最近ではめっきり避けるようになってしまったけど。パズルとかは好きなのだろう。何か始めてみようか。)

 

唯一、好きだったのは料理をすることかも知れない。手芸も好きだったか。どちらも人と比べることがなかったから、純粋に好きでいられたのかも。テレビも好きだったけど、もっぱらバラエティばかりを好んでいた。ドラマは苦手だった。人の心の内側を受け取らねばならない、あの重さ、一度見始めたら次の週も見なければいけないというプレッシャー。そして、家族の前でさえも、感動して泣く、みたいな自分の感情を出すのが苦手だった。部活とかで悩んだとき、よく家で泣いてたから、感情を出すのが苦手な訳ではない。きっと、自分のイメージに合わないと自分で判断したことに対して、感情的になることを避けていた。この人格好いいと思ってもそれを口に出すと、こういう人が好きなんだ~と言われる。それがなんでかすごく嫌で、いっそ興味がない振りをする。そうやって表面上興味がない振りをしていたら、自分自身の中で、本当に何が好きなのかわからなくなってしまっていた。今思うと、自分のイメージってなんだよ、と思うのだけど

 

こうあるべき、から外れた自分を出すのが異常に苦手なのかもしれない。プライドが高いというか、客観視できていないというか。正直、狭い世界の中で、ちょっと勉強が得意でちょっと運動が得意、というだけで、特段魅力的な人間というわけでもないのに、自分は特別なんだと思っていた節があるのだと感じる。恥ずかしいことこの上ないが、今でも若干その考えが抜けていない。そんな自分が嫌いだ。

 

一度試したやり方を変えていくことがすごく苦手。先のことを自分で考えて決めていくのがすごく苦手。考えて失敗するのが怖いから、考えずに適当に選んでしまう。そうして後々になってもっとちゃんと考えておけば良かったと、いつも後悔する。もしくは、自分の頭の中だけでぐるぐる悩んで悩んで悩んでる振りして、何もしないまま時間だけが過ぎる。また動けなかった、と後悔する。いつも。今も。

高校の時の部活でも、自分で考えて練習すれば良かった。記録が出なくても、自分で考えた走り方、ペース配分を考えるとか、変えてみるとか、自分で考えて行動すれば良かった。いつもいつも目の前のことばかり。勉強方法も自分なりにノートの取り方、話の聞き方、勉強の時間、もっと意識して工夫すれば良かった。

 

将来のことなんてどうせ変わるんだから決めなくていいや。その時にまた考えよう、じゃなくて、とりあえずでもいいから、将来はこういうことがしたい、という思いを持っておけば良かった。

 

大学に入ってからも、英語が重要なのがわかっているんだから、しっかり勉強すれば良かった。どうせやりたいことがないのなら、全休なんて作るんじゃなかった。気になる授業は聴講でもなんでもとってみれば良かった。とりあえず興味がある授業、だけじゃなくてもう少し目的を持って授業を選択すれば良かった。授業を受けるだけではなくて、もっと自分で考えて考えてこだわったレポートを出せば良かった。授業で寝ていないできちんと理解しようという努力をしておけば良かった。自分で考えて、文献の検索方法とか、パソコンのスキルとか身につけておけば良かった。研究室、もっと真剣に考えれば良かった。自分がどうしたいのかもっとしっかり考えておけば良かった。行く行かないは別にして、もっと色々な研究室の話を聞けば良かった。

 

今が楽しいからそれでいい、サイクリングやってるからそれでいい、じゃなくて、きちんと将来のことも考えておくべきだった。就活のためではなくて、純粋に興味として聞けるうちに色々な先輩や社会人の方から話を聞いておけば良かった。そして、それをしっかり受け止めて、自分の学びに活かしておけば良かった。もっとお洒落にチャレンジしてみれば良かった。自分の魅せ方を考えてみれば良かった。

 

目の前のことだけではなくて、先を見据えた行動をするべきだった。管理栄養士としての将来をもっと考えておくべきだった。バイトのお金、きちんと貯金しておくべきだった。バイトの仕事をしっかり覚えて、人に教えられるくらいに考えられるようにするべきだった。もっと色々なバイトにチャレンジすれば良かった。

 

マンションじゃなくて、寮に住めば良かった。親にお金ばかりかけさせてしまっている。その分の学びをしていない。本当に申し訳ないという思いしかない。

 

大学で学んだことは直接仕事に活かさなくても、その学ぶ姿勢はずっとずっと生きてくるはずなのに、それをしてこなかった。単位が取れればOKじゃなくて理解しようとするべきだった。

 

もっと真剣に就活をしていれば良かった。真剣に仕事について考えていれば良かった。変に情報に惑わされず、リアルな経験をするべきだった。

 

常に、自分はなんとかなると思っていたのだと思う。ちょっと特別だ、コミュニケーションが得意だ、と思い込んでいたんだと思う。大して努力もせずに、うまくいくわけないのに。今の自分には何もない。なーんも。

 

自分の将来を自分が考えなくてどうするん。

自分の将来から自分が逃げてどうするん。

 

なんもない。

 

語学力も

忍耐力も

先を読む力も

考える力も

責任感も

学力も

パソコンのスキルも、

プログラミングのスキルも、

管理栄養士の知識も

なんも。

 

このままだと、本当につまらない人生になっちゃう。

後悔ばかりの人生になっちゃう。

 

何してたの、ってなっちゃう。

何で自分のことなのにこんなに人任せなの。

 

今の自分は自分中心に考えすぎている。

だから、平気で人に迷惑かけるし、

自分が嫌だと思えば逃げる。

何やっているのだろう。

高校の時の自分に今の姿を見せられない。

大好きで尊敬してる先生にも、こんな姿じゃ会いたくても会えない。今の自分を知られたくない。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心、まさに今の自分を表しているよう。

 

ここまでの自己中は実際社会に必要とされてないんだよな。だから、自分がやりたいことの追求ではなく、人のためになること、人の役に立つことをしないといけなくて、その上で自分がやりたいことをするには、それ相応の努力が必要なんだよな。と。

人のためにって、綺麗事じゃなくて、最低限のベースラインなのかも。

人のために頑張りますって、当たり前のことで、それを前面に出したところで、それはその人のエゴでしかないのかもな。

たいした努力もしないで、自分にできることばかりやってたって楽しくないし、成長しないんだけど、なんか繰り返しちゃうんだよな。あぁ、なんなんだろう。

 

まあでも、つべこべ言わず、やる。これに尽きるのか。

 

できるできないじゃなくて、やるしかない。

とりあえずでもなんでも行動する。そうしないと下がる一方だから。

まあ、今救いようのないとこまで落ちたのだから、上がるしかないか。

失敗しようが、今よりはましな自分になれるかな。

 

嫌なとこに向き合うというか、ただ吐き出しただけになってしまった。