読んだ本の記録
ほぼ自分の記録のためですが、もし感想を共有できたりしたら嬉しいなあと思います。
8/3~8/8
8/10~
Erich Fromm「愛するということ」(2回目)
8/12
又吉直樹「夜を乗り越える」
8/13~
若林正恭「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」(2回目)
8/13~14
朝井リョウ「どうしても生きてる」
8/17~18
又吉直樹「人間」
8/18
8/18~19
又吉直樹「火花」
8/19~20
朝井リョウ「もういちど生まれる」
8/20~
8/21~22
中村文則「私の消滅」
8/22~23
中村文則「何もかもが憂鬱な夜に」
~8/30
中村文則「銃」
8/24~
中村文則「教団X」
9/
平野啓一郎「本心」
9/18
中村文則「遮光」
9/26
朝井リョウ「死にがいを求めて生きているの」
11/8
野田クリスタル「野田の日記(はじめのほう)」「野田の日記(あとのほう)」
11/23~
12/6
星野源「働く男」
12/8
若林正恭「ナナメの夕暮れ(文庫)」
12/25
兼近だいき「むき出し」
2022
1/12~25
西加奈子「夜が明ける」
読みたい本リスト
アンデッシュ・ハンセン 久山葉子「スマホ脳」
遠藤周作「沈黙」「深い河」
NPO法人CUD機構「CUDカラーユニバーサルデザイン」
「100年戦争」(?)
「サピエンス全史(上)(下)」
東京五輪
東京五輪が始まって1週間がたつ。
開会前から幾度となく、そして直前まで世間を賑わせた開会式。
どこかアナログなピクトグラムに心が温まったのは、私だけではないだろう。もしも今年追いコンが開催できるのであれば、きっとピクトグラムの出し物がステージを席巻することだろう。いつぞやのミルクボーイ並みに。
新型コロナウイルス感染者が日に日に増えていく中で、五輪開催を純粋に喜ぶことができない面もあるかもしれない。個人的には、こんな状態で選手が本当に万全な状態で競技に挑むことができているのが、という点が心配なのである。ただでさえ、計り知れないプレッシャーを感じるであろう五輪という舞台、加えて、慣れない土地、制限された世界。そんな中で自己ベスト、大会記録、そこまでのコンディションに持って行ける選手たちは本当にすごいと思う。そもそも結果がどうであれ、プレッシャーのもとで競技に望んだ選手は、手放しに素晴らしい。だけど、現実は結果が出なかった選手、ニュースの見出し「まさかの」「無念の」「番狂わせ」などのフレーズが目にとまる。もちろん、限られた文字数の中で、その選手がどれほどのレベルで、その結果が喜ぶべき結果なのか悔しい結果なのかということを伝える必要があり、そのためには少々過激な表現も必要だと言うことは理解できる。理解はできるのだけど、あまりにも選手に対する尊敬がないような気がしてならない。まさかの、格下相手に敗れる、みたいな書き方は、相手選手に対しても失礼なのではないかという気持ちもこみ上げてくる。
とまあ、暗い話はさておき。
今まで見ていた競技の備忘録を綴ろうと思う。
卓球(男女ダブルス決勝)、スケボ、器械体操(女子団体、男子団体)、陸上、
器械体操の選手の体型に驚いた。上半身の筋肉が本当にがっしりしてて、かっこ良い。衣装は新体操とほぼ同じだと思うが、体の使い方が全く違うのだと実感。
平均台でターンを決める、宙返りを決める、ちょっともうよくわからない。何度見ても、どの選手を見ても、ドキドキしてしまう。
陸上は何種目か見たけど、男女混合のマイル決勝が良かった。マイルは応援に限るな~とか思いながら見ていた。
あと、私の尊敬する又吉さんがスポニチに寄稿しているとのことで、寄稿している日の新聞だけ購入している。150円(税込)
新聞は意外と面白いなと、拾い読みしながら感じている。
社会に取り残されないようにしないと。
明日は、色々私にとっての転機が訪れる日。
良くも悪くも、、、。
悪かったら、選手たちの姿に慰めてもらおう。
そのときは何卒よろしくお願いします。
なにはともあれ、普段は見ることのない選手たちから元気や勇気をもらえるこの期間は、やはり特別なことに変わりはない。
画面越しに応援を続けたい。
食の思想 小林カツ代
「そういえば、こういう話が好きで、食を学びたいと思ったんだっけ」と、すっかり乾燥しきっていた自分の心に緑が戻ってくるような感覚。
美味しいものを美味しいと思えるように。
食材の旨みや魅力を最大限に活かす料理ができたら、食材にとってもそれを食べる人にとっても最高なんだよな。
日常に取り入れられることを、無理せず継続できることを、今までの慣習に疑問を持つことを、、、
自分自身でも考えて、生活に取り入れていきたい。
今のグレースケールな生活に、少しでも彩りを添えられますように。
「人間失格」を読んで
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当がつかないのです」
人間失格といいながら、誰よりも人間らしいのではないかと感じた。
器用すぎるが故の不器用、とでも言うべきか。
恥をかくことができるのは、恥をかくだけの”行動をした”ということであるならば
恥の数が多ければ多いほど、人間としての深みが出るのかもしれない。
周囲からあきれられる主人公だが、
今の自分よりも生きることと向き合っている気がした。
人間失格という主人公より駄目な自分はもはや人間のスタートにも立っていないということなのか。
悲しいような、気が楽になるような。
とりあえず言えることは、お酒を飲むとろくな文章が書けない。
(お酒を飲まなくとも、ろくでもない文章ばかりではあるが…)
以上。
「東京百景」を読んで
少し前に購入した「東京百景 (著)又吉直樹」を読んだ。
筆者の思う東京、筆者の見てきた東京が描かれている。
冒頭、「しかし、これが僕の東京なのだ。」という文があった。僕の東京という表現は、どのガイドブックよりも私の興味をそそった。筆者の見てきた東京は、私が3年間住んできた東京とはまるで違った。人間という感じがした。観光地の供にはならなくても、この本を携えて東京を巡りたいと思った。
他のひとから見ることのできない筆者の世界が、果てしなく広く魅力的だった。自分で考えて、自分で決めた道を進む。私は、この言葉の意味を「たとえ間違っていても、自分で決めることが重要なのだ」と解釈していたが、彼の文章を読んで、そもそも間違いなんてないのではないかと思った。彼が見た東京は、間違いなく東京であり、私が見ている東京も間違いなく東京である。
「自分がどのような状況に置かれていても、自分が感じたこと、自分が経験したことは決してなくならない。
自分で好きな道を選んでいいときは遠慮しない。誰にも気なんて遣わない。その代わり大人になった今、全ての責任は自分にある。」
ふと、高校時代の恩師のことを思い出した。その先生は、高校時代のマラソン大会の話をしていた。詳細は曖昧だが、とにかく面白い話だった記憶がある。筆者も先生も、私の好きなアーティストも、学生時代の話をする。新しい情報も教えてくれる、けれども彼らの昔の話も沢山してくれる。それら一つ一つの経験が、今の彼らを成り立たせているのだと感じる。過去にとらわれているのではなく、過去を財産として今を生きている、その感じが私はたまらなく好きなのだと思う。
過去は過去だけれども、その過去を経て今があるこの事実に変わりはない。過去にとらわれる必要はないかも知れないが、同時に過去を忘れる必要もない。
本の感想からそれたが、自分が好きになる人の共通点がひとつ見つかった気がして少し嬉しくなった。
そんな記憶をも思い出させてくれるこの本を何度も見返しながら、自分なりの東京を作ってみたい。
オンラインでやたら楽しそうに見えたらしい。
先日、先生と研究室のOG会の開催方法について話していたら、
対面かオンラインかの話から
2月に行なわれた4年生を送る会の話になった。
「あなた、あの時すっごい楽しそうだったじゃない?(笑顔)」
と、言われ、先生に見られていたことを知った。
確かに、全員画面ONでこちらが先生の様子を見ることができるのだから、先生がこちらの様子を知ることだってできるのだ。授業では、こちらは基本画面OFFにしているから、その感覚が抜けていなかったようだ。盲点だった…。
しかも、すっごい楽しそうと言われるほどのリアクションをしていたなんて、
自覚無しの自分に少し怖くなった。
確かに楽しかった、けれども。